アンコールワット
アンコールワットの魅力
1113年、スーリヤバルマン2世により建築されたアンコールワットは、東西に1500m南北に1300mあるお堀で囲まれたヒンズー教のお寺です。お堀の長さは、約190mもあり外敵の進入を防ぎました。
アンコールワットは、王様が崇拝していたヒンズー教3大神のひとりビシュヌ神に捧げるためと、死後王から神に変わる場所として建てられました。
アンコールワットは、3つの回廊からなるピラミット型の寺院です。
中央塔は、神々が住む山である須弥山(しゅみせん)を現しています。
アンコールワットは、大きくて迫力のある外観とは裏腹に、優美で繊細な部分を持ち合わしています。それが一番よく出ているのが第一回廊だろう。
アンコールワットで2カ所日本の人達が修復作業をしています。
西正面参道をソフィアミッション。参道から門をくぐり、左右対称に建っている教蔵の左側。
これは、日本国政府アンコール遺跡保存チームによって修復作業がされています。

第一回廊 西面北側 『ラーマーヤナ物語』
古代インドの大叙事詩ラーマーヤナ物語が、素晴らしい彫刻と共に描かれている。話は、主人公のラーマ王子の妻シータを好きになってしまった、悪魔の王様ラーバナが誘拐するお話し。
シータ姫を助けるために猿の軍を率いてランカー島(現スリランカ)に行き戦いを繰り広げる。
よく見るとここのレリーフは、猿と阿修羅が戦っている。
猿軍の将軍は、ハヌマーン(左上写真)。この猿は、孫悟空のモデルになったと言われている。ラーマ王子(左上写真)は、弓の名手だったのでいつも弓を握っている。魔王ラーバナ(左下写真)は、顔が10個手が20本もある強い悪魔。

第一回廊 西面南側 『マハーバーラタ物語』
第一回廊 西面南側 《マハーバーラタ物語》
古代インドの大叙事詩。現在の形になったのは西暦4年と言われている。
王の亡き後、王位をめぐり肉親同士で血を流す悲しいお話しです。
亡き王には、100人の王子と5人の王子がいました。100人の王子は、王様と血の繋がった本当の親子だったが、王様は実の子ではない5人の王子に王位の権利を譲ることにした。それは、全てにおいて100人の王子に勝っていたからだ。

これに猛反発した100人の王子は、王位をとるために剣を抜いた。人数で勝る100人の王子が優勢に立っていたが、司令塔であるビーシュマが殺されると形成は一気に逆転してしまい、亡き王の希望通り5人の王子が国を治めることになった。

第一回廊 南面西側 『軍の行進』
当時の軍の行進が描かれている。まず最初に出てくるのが創建者スーリヤバルマン2世が占い師と相談の結果戦争に行くことを決めるシーン。団ごとに軍を組み、将軍は象に乗り軍を率いる姿が描かれている。よく見ると将軍の足下には、サンスクリット語で将軍の説明がされている。軍の行進の終わり頃をじっくりと見ていると軍のユニフォームが変わる。これは、捕虜兵になったシャムの軍隊が最前線におかれているところを描いたもの。真剣な顔をしたクメールの軍と対象にやる気のないシャムの軍隊との比較がおもしろい。

第一回廊 南面東側 『天国と地獄』
この回廊に来たらまず天井を見てみよう。昔の姿が再現されている。当時は、木で造られていたらしいが、現在の物はフランスによってセメントで再現されている。
地獄・現世・天国の3段からなるレリーフは、たくさんの人が触ったのかピカピカときれいに光っている。下段の地獄では、色々な罰を受けている姿が描かれている、ある人は『ポルポト時代と同じだっ』と・・。もちろん、閻魔大王もかかれているが、ここはヒンズー教のお寺なので、ヤーマと言う死と裁判を司る神として描かれている。
舌を抜くところや逆さ吊りなど恐ろしいシーンがいっぱい。

第一回廊 東面南側 『乳海攪拌』
アンコールワットの第一回廊の中で最高傑作である『乳海攪拌』のレリーフ。
乳海とは、白い海を現している。攪拌はかき混ぜると言う意味なので、白い海をかき混ぜるお話になる。
昔々、神々と阿修羅は『アムリタ』と言う不老不死の薬を手に入れる為に乳海攪拌をしました。
さて、どうして白い海をかき混ぜたかと言うと、まず白い海を造ることから始めました。
白い海の作り方は、まず海の底に大亀を沈め、その上に大きなマンダラ山をおきました。そして、その中腹にヴァスキーと言う大蛇を巻き付けました。
それを交互に、神と阿修羅が引っ張り合いました。(この行動を約1000年)
すると、その振動で海の中の生物達がまっぷたつにちぎれていきました。水は、魚などが死ぬとどうなりますか?そうです、白く濁っていきます。つまりこれが乳海です。
そうして出来た乳海からアムリタが出てきたのですが、その前に天女・アプサラが生まれました。続いて美の神様でビシュヌ神の奥さんになるラクシュミーが出てきて、ついにアムリタが出てきました。
とっさに気づいた神々は、順番にこっそりと飲んでいきました。しかし、阿修羅で1人だけ気づき神に混じって飲もうとしました。誰もその行動に気づかなかったのですが、天界から見ていた太陽の神と月の神がビシュヌ神に知らせました。怒ったビシュヌ神は、手に持っていた円盤を阿修羅めがけて投げたのですが、アムリタを飲んだ後でした。しかし、アムリタは、胴体の半分のところまでしか行っておらず上半身だけ不老不死の醜い阿修羅が誕生しました。
怒った阿修羅は、次回太陽と月に会った時には必ず食べてやると宣言します。そんなある日阿修羅は、太陽と出会い太陽を食べてしまいました。しかし、上半身だけなので食べても直ぐに出てきてしまいます。想像してください、この時起こったのが日食です。こうして日食と月食が起こっているのです。
(お話は、いくつもあるうちの一つです。)

第二回廊
第一回廊と違い、ここには彫刻がありません。顔をとられてしまった仏像が数体あるだけです。アンコール王朝時代、王の死後、次の王様は自分の遺跡造りに励み引き続き遺跡を造ることはほとんど無かったと言われています。

第三回廊
約70度ある急な階段を登りきると第三回廊に到着です。ここに来るとアンコールワットがジャングルの中に埋もれていたと言うのがよくわかります。現在は、整備が入りきれいになったアンコールワットも発見当時は木に囲まれていました。
中央塔の下には穴があいており、そこに骨や金銀財宝が埋められていたのだろうが、発見当時何も無かったとなっている。穴は、南面から入ると見ることが出来るが真っ暗で何も見えない。

十字回廊
森本右近太夫が書き残した落書きが残っている。落書きと言っても今では立派な落書きとして観光客を驚かせている。
落書きの内容は、日本から海を渡りこの地へ来た事、仏像を4体奉納し母の後生と父の菩提を伴う為と記されている。最後に、寛永九年と記されている。寛永九年=1632年。
これは、江戸時代に書かれた今は由緒ある落書きなのです。(皆さんは書かない様に)実は、森本右近の来る前に島野けんりょうと言う人がアンコールワットに来て見取り図を書いていったそうです。その見取り図を基にやってきたのですが、この2人共ここをインドの祇園精舎と間違えてやってきたのでした。後世に見取り図と落書きで、祇園精舎ではなくアンコールワットであることがわかりました。彼らは、ここをインドの祇園精舎と信じてこの世を去っていきました。


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